「咳止めのテープ」の問題点


 外来を受診する子どもの中で、背中にテープを貼っている人がいます(右写真)。保健センターで乳児健診を行なったり、学校健診をするときも必ず何人かこのテープを貼っている子を見つけます。たまたま見つかっただけでも、多くの子どもたちが貼っているわけですから、このテープを使っている人は膨大な数であろうと推測されます。

 ところが、親御さんに話を聞くと、単に「咳が出るから貼っている。」という人が大部分です。本当にこの薬(テープですが、立派な薬です)のことを理解して使っておられるのでしょうか?
 「咳止めのテープ」を多くの方が正確な知識のないままに子どもに使用しています。この状況は、今の小児医療の問題点をいくつか浮き彫りにするものです。

1、ホクナリンテープの薬理作用
 ホクナリンという薬はメプチンやプリカニール、ベラチン、スピロペントなどといった薬と同じ仲間で、気管支や心臓にあるβ受容体を刺激して、気管を広げたり、脈を速くする効果があるものです。(正確には気管支へのレセプターに対して強く反応し、心臓に対しては作用しにくくなっています。)ホクナリンテープの裏にはこの薬が塗ってあり、貼るとじわじわと皮膚から薬が吸収され、6〜8時間後に血中濃度が上がり、24時間以上持続して気管支を広げる効果があります。夕方に貼っても朝まで効果が持続するので、早朝に起こる喘息発作を予防することができます。なお、ホクナリンテープは喘息発作の予防には効果がありますが、既に起こっている発作を止めることはできません。効果が出るまで、あまりにも時間がかかり過ぎるからです。

2、咳嗽の治療に使われているわけ
 厚生労働省が認めているホクナリンテープの適応病名の中で、小児と関係するのは気管支喘息と急性気管支炎です。この中でホクナリンテープが気管支喘息に効果があるのは間違いありません。気管支喘息を持つ子どもは全体の約5%です(右円グラフ)。このテープを使用している大多数の子どもたちは気管支喘息とは関係はなく、急性気管支炎の診断で使用されています。
 では、急性気管支炎とはどんな病気なのでしょう?実はこの診断が極めて曖昧です。

次にあげるのは、「今日の小児治療指針」からの引用ですが
 
急性気管支炎では,湿性咳嗽がみられ,発熱や胸部聴診所見にてラ音が聴取されることがあるが,胸部単純X線では明らかな異常陰影を認めない。通常は乾性咳嗽,鼻汁などの上気道炎症状が先行する。

 と書かれています。これを読むと、風邪に引き続いて起こる湿った咳は、それだけで急性気管支炎と診断してよいということになります。小児の上気道炎のほとんどに気管支炎を併発するということになり。その結果、ホクナリンテープがたくさん処方されることになるのでしょう。

3、本当に効果があるか?

 製薬メーカーが厚生労働省に薬の承認を求める時、臨床試験をしているはずです。ところが、ここにも大きな問題があります。
 ホクナリンテープが国の承認を得るための治験が行なわれていたのは1990年代です。メーカーがその効果の根拠にしている論文は、1995年に小児科臨床誌上で発表されたもので、下に要約を引用します。


タイトル
小児の急性気管支炎に対する経皮吸収型β2刺激薬、ツロブテロール貼付剤(HN-078)の臨床評価

咳嗽を主訴とし、喘鳴または聴診ラ音を有する急性気管支炎患児に、新規に開発されたβ2刺激薬ツロブテロール含有経皮吸収型製剤(HN-078)を3日〜1週間投与して、その有効性と安全性を検討した。
 HN-078は咳嗽、喀痰、喘鳴、夜間睡眠および聴診ラ音の各臨床症状のいずれにも改善率(中等度改善以上)70%以上の優れた効果が認められた。最終全般改善度は55例中著明改善19例、中等度改善25例、軽度改善7例、不変3例、悪化1例で、改善率は80%であった。
   ※HN-078はホクナリンテープのことです。

論文中に下の図が掲載されています。



結論として、ホクナリンテープは急性気管支炎に極めて有用であるとされています。この図を見ると誰が見ても良く効いています。

ところが、この臨床評価は極めて大きな問題があるのです。分かるでしょうか?

なんと、この研究にはコントロールスタディーがないのです。つまり、テープを貼った人だけを調べているのです。薬の効果は本来なら薬を使用した群、使用しなかった群で比べるべきものです。その比較がない研究は、単なる経過報告でしかありません。

そもそも、小児の咳嗽は3日も経てばほとんど軽快します。上のグラフはテープを貼った効果なのでしょうか?それとも自然経過なのでしょうか?肝心のそこが分かりません。こういったデータを信じて、日本中の医者がこのテープを処方しているのです。

なお、この論文が気管支拡張剤が咳反射を抑制するという根拠にしている論文は、1964年に書かれた物です。
(The American Journal of the Medical Science May 1964 585-600)
40年前の理屈が現在でも通用するのでしょうか?一般の科学ではあり得ない話です。



右のグラフは当院で患者さんにお願いして集めたデータです。急性気管支炎症状の患者さんで、テープを貼った群、貼っていない群で、咳嗽の経過を記録して、ファックスしてもらい集計しました。これを見ると、ホクナリンテープを貼った群も、貼らなかった群も同じように治っていきます。ホクナリンテープは咳嗽の自然経過に何ら影響しないことがわかります。ホクナリンテープに咳を止める効果はないのです。

同じように急性気管支炎に気管支拡張剤の効果がないことは、海外のいくつかの臨床研究でも証明されています(参考文献)。



小児科臨床の論文の中には、患児または保護者の印象も記載されています。それを見ると、「大変良くなった」 27.3%、「良くなった」 49.1%、「少し良くなった」 14.5%で、なんと90%以上の人がその効果があったと判断しているのです。当院で貼ってもらった患者さんでも、「効いた」と述べられた方が多数いました。患者さんはこういった比較はできません。テープを貼った場合は、治っていくのを見ていくだけです。ですので、自然経過で治っていくのを薬の効果と勘違いされてしまっているわけです。これは極めて危険です。

4、気管支炎の正体
  近年、長引く感冒症状の多くで、副鼻腔炎が合併していることが明らかになりました(参考文献)。副鼻腔とは鼻の横にある骨の部屋で、そこに分泌物がたまって、なかなか外に出て行かないために、咳嗽や鼻汁が長引いているわけです(参考写真)。気管支炎と考えられていた病気の多くは、実は副鼻腔炎であったと考えられます。
 当院のエコーによる調査でも、長引く咳嗽の子どもさんの約6割に副鼻腔炎を認めました(参考文献)。副鼻腔炎はこれほど多い病気であるにも関わらず、小児科で診断されることはほとんどありません。これは、日本の小児科医が耳鼻科疾患の診断、治療のトレーニングを受けていないためだと考えられます。小児の咳嗽が長引く場合に、最初に考えなければならない病気は気管支炎ではなく、副鼻腔炎なのです。
 また、ぜいぜいという喘鳴が出れば気管支拡張剤が効くだろうと考える人もいます。これも真実ではありません。RSウイルスによる細気管支炎は強い喘鳴が出るし、聴診しても喘息と似た音が聞こえます。細気管支炎は乳幼児の下気道感染症の最大の原因であり、世界中の研究者たちが治療法を探しています。気管支拡張剤の効果も詳細に検討されているのですが、結論は、気管支拡張剤を高張食塩水で吸入すれば少しは効果があるかもしれない(参考文献)が、内服は効果がない。喘鳴を繰り返す場合は気管支喘息との鑑別が必要になるが、少なくとも初回の喘鳴発作には使うべきではないというものです (参考文献)。
 ましてやホクナリンテープは、貼ってから効果が出るまで最低でも4時間はかかる長時間作用型の気管支拡張剤です。テープは日本と韓国でしか使用されていないために、効果を調べた論文は見つかりませんが、常識的には全く期待できないということになります。

5、薬依存症のスパイラル
 咳嗽は本来、自然治癒傾向が強い症状です。ところが、親の不安感は年々増しています。咳嗽が強い場合、長引く場合には、不安を訴える親がたくさんいます。肺炎ではないだろうか?喘息ではないだろうか?と聞かれることが頻繁にあります。
 ところが、感冒の咳嗽でも長く続くことはまれではなく(参考資料)、数週間から一月以上も続くこともあります。特に保育所や幼稚園で集団生活をしていると長引くことが多いのです。これは集団生活で何度もウイルス感染を起こすことに起因するものです。
 気管支喘息は聴診で診断しますが、発作の時でないと分かりません。だから、小児科医も「喘息だったらどうしよう?」と、不安になり、ホクナリンテープをはじめとする気管支拡張剤を処方してしまいがちです。これは日本だけでなく、世界中の小児科医で共通するもののようです。咳嗽の大多数の原因である感冒や気管支炎には効果がないはずですが、自然経過で治ってしまい、次からも咳嗽があると親が同じ薬を欲しがるということになります。ホクナリンテープは効果がなくても効いたと思われてしまうことを、上の論文が証明しています。
 
6、ホクナリンテープの過剰使用、その危険性
 上記したように、小児科医が長引く咳嗽に気管支拡張剤を処方しがちなのは、喘息を見逃していないか?という恐怖感があるからです。乾いた咳嗽が8週間以上も続く場合は将来の気管支喘息の発症のリスクが高いことが知られています(参考文献)。しかし、外来でそういった慢性咳嗽に遭遇することは少なく、ほとんどの咳嗽は急性のものです。こういった急性咳嗽に気管支拡張剤を使用することに意味はどこにあるのでしょうか?自然治癒する急性疾患に薬を処方することは、薬依存症を作るだけです。その結果が現在の過剰投与の状況を生んでいるわけです。
 しかもホクナリンテープはただの風邪薬ではありません。長時間気管支に作用し、心臓にも影響します。セレベントなどの長時間作用型の気管支拡張剤は、喘息の重症発作や喘息死を増やすとされており(参考文献)、日本の小児気管支喘息ガイドラインでも使用する場合は中等症以上の比較的重症な喘息の子どもに限り、必ずステロイドの吸入と併用することになっています(参考資料)。気管支拡張剤の短期間の使用がどの程度危険なのかは分かっていませんが、慎重投与するべき薬であることは間違いありません。

7、日本の医療の問題点
 このようにホクナリンテープの過剰使用の現状は、日本の小児医療を取り巻く様々な問題点を浮き彫りにしてくれます。外来が忙しく、詳しい説明もないままに薬が処方されること。不十分な臨床データでの薬の承認の問題、その後の見直しもされません。不安感から薬を求める親、それに応じて処方せざるを得ない小児科医が生む薬依存症のスパイラル。十分に検討されていない副作用の問題。
 ホクナリンテープの使われ方が大きく誤っているのは間違いありません。事故につながる可能性もあると思います。小児科医が率先して過剰使用の現状を何とかすべきではないでしょうか?


2007年3月23日に米国のニューヨークタイムズに掲載された記事
 (リンク切れが予想されるので、該当の記事の一部を貼り付けておきます。)

U.S. Reviewing Safety of Children's Cough Drugs

In a recent study of hospital emergency room records from 2004 and 2005, the Centers for Disease Control and Prevention found that at least 1,519 children under age 2 had suffered serious health problems after being treated with common cough and cold medicines. Three of the children died, the disease control agency found.

The F.D.A. said it was too early to predict whether the review would lead to new regulations. Its comments came in response to a petition filed on Thursday by a group of prominent pediatricians and public health officials demanding that the agency stop drug makers from marketing cold and cough medicines for children under age 6. The petition says that the medicines do not work and that in rare cases they can cause serious injury.